[横浜元町]開港後の横浜を支えたジェラール水屋敷

2017.04.07

鎖国→開国して、貧しい漁村から一大発展を遂げた横浜市には、当時の遺構や記念碑などが街のいたるところにあります。今回は、かばのデザインから徒歩3分の場所にある、ジェラール水屋敷をご紹介。

ジェラール水屋敷

住宅街の中に突如現れる貯水池のような場所。

ジェラール水屋敷の中にいる鯉

もともとは池ノ谷戸の湧水[現:中区にある打越湧水]を使って給水業を営んでいたアルフレッド・ジェラール。明治3年(1870年)までに、現在のこの場所も水源として確保し寄港船舶などに対して給水業を始めたそうです。

アルフレッド・ジェラール
 横浜の市街地の井戸の水は塩分を含んでいて、飲用には適していませんでした。他方、丘陵地帯の麓には良質の湧水が多く、上水道が整備されるまでは、そうした湧水を汲んで市中を売り歩く「水屋」の姿も見られました。この点に着目したジェラールは、山手の麓に水源を確保し、パイプを敷設して、山下居留地や寄港船舶に供給しました。これを見た横浜の人々は、ジェラールの給水業のための施設のことを「水屋敷」と呼ぶようになりました。

-出典:ジェラールの水屋敷碑文

山手の湧水

※現在この水は飲料水に適していません。

明治時代の横浜元町

明治時代の横浜元町周辺。埋め立ても終わり、この時からすでに横浜中華街は斜めです。というかもう地形としては現在の型が出来上がっていますね。横浜公園(横浜スタジアム)上に、大岡川の支流が流れているのが大きな違いでしょうか。こんな広大な土地、どうやって埋め立てるんでしょうね。江戸時代にこんな技術があるというのすら、、、驚きです。

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